
25.10.6(月) 天気;晴れ 気温;20℃
昨日のお昼頃から急激に晴れてきました。今朝も日差しが強く、少し暑いです。
先日、島原市内を歩き回っている時に見つけたものです。
看板には「島原市指定文化財 史跡 高島回向堂(えこうどう)」と書いてあります。 ?こんな文化財あったっけ?
また、ものによっては「舟倉回向堂」とも書いてあります。これはかつてこの地を「舟倉」と呼んでいたことからきています。
とりあえず、解説板を読んでみます。
「寛政四年(1792年)旧暦四月朔日夜、地震が発生し眉山の南半分が一気に有明海に崩れ落ち、このため、津波が起こって島原半島の東側から対岸の肥後(熊本)にまで及ぶ大災害となりました(島原大変肥後迷惑)。この時の死者は肥後の方も合わせて約一万五千人といわれる日本火山災害史上最大の惨事となりました。
高島周辺は、江戸時代、藩の軍船が係留されていた所で、船手組の藩士たちが居住していましたが、この災害により船手組の多くも亡くなったり行方不明になりました。
藩主 松平忠憑(ただより)はこれを悼み、翌年この回向堂を建てさせ多福軒(本光寺副住職の寺)に永代供養を命じました。蘇鉄もそのころ植えられたものです。
回向とは、死者の成仏を祈って供養を行うことですが、堂内には本尊の如意輪観音菩薩像が安置されたため観音堂とも呼ばれます。
『なき人の 魂(たま)をあつめて 回向堂 仏の誓い ありあけの海』(御詠歌)

由緒から言っても、島原市の文化財になっていておかしくないものですが、私が持っている「島原市の文化財」という冊子には掲載されていません。
おかしいな〜?と疑問を持って調べていると、解説板には“平成十九年”と書いてありますが、文化財を示す銘板には“平成二十二年”になっています。
!私が持っている冊子は平成二十一年に発行されたものです。だから掲載がないのか。