26.1.24(土) 2回目の更新
神社巡りの続きです。
1箇所目の「八幡神社」の見学を終えましたが、ここでヤバイ事態に気が付きました。見学の時間を20〜30分と予定していたのですが、気づくと50分経過していました!すでに11時近く!
マズイ!最低でもお昼までに3箇所目の「岩戸神社」まで行かなければ、午後に残り全部をまわれない! 気持ちは焦りますが、移動はバスなので法定速度以上は急げない。(苦笑)
とりあえず、2箇所目の雲仙「温泉神社」に向かいます。

ここは言わずと知れた「温泉神社」の総本社。雲仙の温泉街の真ん中にあります。
このブログでも何回か登場しているので、承知の事と思います。
一の鳥居の足元に昔の「四面社」の割れた額束があります。 温泉神社は元々「四面宮」と呼ばれていました。
『僧 行基が雲仙を求法の地※と定めやってきた時に、空中に白い大蛇が現れました。大蛇は行基を見るとたちまち四面の美女になりました。行基が「あなたは何者ですか」と尋ねると「私は九州の守り神である」と答えて大きな光を放って消えました。行基はこのことを時の天皇、文武天皇に報告したところ、九州の守神を祀る寺社を雲仙に建立するよう行基へ命じられました。行基は雲仙にお寺(満明寺)と神社(温泉神社)をあわせて造営することになったのです。四面宮は地元の人々から、九州の守護の神社として、また地元の氏神様として「お四面さん」と呼ばれるようになりました。』(四面宮ものがたりより) ※求法(ぐほう)・・・仏法を求めること
また、この四面一身の神様は1200年代(鎌倉時代)の元寇の際にも姿を現します。 『元軍には三面一身の勇士がいて、日本軍を悩ませていました。そこに忽然と「四面一身」の勇士が現れ、元軍の三面の勇士を蹴散らし日本を救いました。(神風を吹かせたとも言われます。) 鎌倉幕府は使者を遣わし尋ねると「私は肥前の国・雲仙の神である」と言いました。 これを聞いた鎌倉幕府は、恩賞として神田を四面宮に寄進しました。』(同じく四面宮ものがたりより)
と、このように長い間温泉神社は「四面宮」と呼ばれていましたが、明治時代に時の新政府によって神仏が分離され、名称を「筑紫国魂(つくしくにたま)神社」に変更され、大正時代には現在の「温泉神社」となりました。(ちなみにこの年に郷社から県社に昇格しています。)
少しの見学時間とトイレ休憩を取り、すぐにバスに乗り込んで移動しました。